…冗談だよ


※携帯に載せたものに加筆しています。


 訳のわからない場所に、訳のわからない男。こんな最悪な状況があるものだろうか。

 響也は、背後で叫び続ける男…成歩堂龍一と言っただろうか、を無視して歩き続けた。周囲にただならない気配が立ちこめているのは感じる。居て良い場所でない事だけはわかった。望んだ訳では無いけれど、生まれた時から授かっていた、響也にとっては疎ましい力のお陰だ。 
 ただ、この男はそれが欲しいと言って来た。この世で、人成らざる者達と闘うのに必要不可欠な力なのだと。
 
「此処は危ないんだ、わかるだろ!?」
 しかし、勢いよく伸びた成歩堂の腕によって、彼の胸元まで引き寄せられる。こういう馴れ馴れしさが、成歩堂を男相手の痴漢と間違えさせたというのに懲りないものだ。
「それは、わかるけど…!」
「だったら、僕から離れちゃいけない。僕らは、『運命の相手』なんだから。」
 くたびれたパーカーに、センスを疑うニット帽子。そんな中年親父に『運命の相手』呼ばわりされて喜ぶ高校生などいる訳がないのに、響也の心臓は奇妙なほど大きく波打った。
「ずっと探してた、僕の魂の相手だ。」
 背中から抱き締められた状態で、髪に口付けを落とされ、体中の血液が沸騰する。
「放せ、変態!!、アンタ絶対おかしいよ!」
 肘を振り回して、成歩堂の身体を引き剥がす。
バクバクと激しい鼓動を知られただろうか、耳の先まで熱い様子を悟られただろうか。やれやれと苦笑する成歩堂の顔が、奇妙に点灯する外灯に照らされた。

 格好良いと思えるなんて、きっと目の錯覚だ。

「君にはまだわからないかも知れないけれど、これ程の瘴気溜りは滅多にあるものじゃない。危険なんだ。恐らく、僕らの生命を脅かす程の代物だ。」
 
 表情を引き締めて真っ直ぐに見つめる漆黒の瞳。先程までの緩い表情を払拭する真摯さには圧倒された。響也は言葉もなく男を見つめる。
 目鼻立ちは随分と整った方だろう。飄々とした態度は、随分と人を喰ったものだが、根底にあるのは彼の自信か。人は実力を伴わない者ほど外見を飾りたがると知っている。尤も、居直りだったら最悪なんだけど、と響也は一人語つ。
「…わかったよ。」
 諦め半分で返事をした響也に、成歩堂は片手を差し出した。
「何?」
「此処から出るまで、手繋ごう。」
 きっと、今自分は驚くほどに間抜けな表情をしているだろうと推察して、響也は慌てて顔を引き締める。甘っちょろい気分で、成歩堂は手を繋ごうと言っている訳ではない筈だ。危険な場所なのだから、分断される事によって増す危険度を防ぐ為の手段。
 本当のところ、響也自身も先程から背筋が凍るような気配をずっと感じ続けていた。冷暗所にいる如く、鳥肌が立ち、気を緩めると震えさえ感じる。『生命を脅かす』というのも、揶揄でもからかっているのでもないのだろう。
退魔のプロと名乗った男を信じるより他ないと覚悟を決めて、響也は差し出された手を握り返した。
 それでも羞恥心が先行するから、成歩堂の顔を見る事は出来ない。
成歩堂は響也が握り返した手の甲をもう片方の手でポンポンと叩いてから、そちらの手で握り返し、『行くよ』と呼びかけて来た。
 本当に小さな子供にするように、ぎゅっと握り込んで自分の脇へと引き寄せる、成歩堂の動きに従い、響也も脚を前に出す。素直な響也に安堵したのか、成歩堂はそれ以上軽口を挟む事なく黙々と歩き続けた。
 暫く歩いても、風景も場の雰囲気も変わる事は無かったけれど、成歩堂に強く握られている手のお陰か、本能的な危機感は幾分収まって来たような気がした。その変わり、別の緊張感が響也を俯かせる。響也に安心をもたらす、その同じ手が、居たたまれない程の気恥ずかしさを響也に与えるのだ。
 ふっと吐く息につられて顔を上げれば、成歩堂と目が合う。にこと笑う表情に揶揄の色は無かった。ぎこちないとは思ったけれど、響也も笑みを返そうかと思った瞬間に耳に入った言葉に固まる。
「未成年相手に早まったね。まずは、清い交際からスタートしよう。」
「は…?」
 先程と同じく、ポンポンと叩く手とその嬉しそうな表情に、(手を繋ぐ)行為の目的が自分が意図したものとは全く違うものだったのだと響也に思わせるには充分だった。ポンポンからサワサワに変わりつつある成歩堂の手付きがそれに拍車を掛ける。
「いや〜でも良かったなぁ。いくら魂の相手だからって、今川焼きを叩いて潰したような奴だったら、どうしようかと思ってたんだ。君みたいな美人で本当に良かったよ。寧ろ、万歳だ。」
 妖気の中で陽気な男に響也の眉間がピクリと動く。不穏な様子に気付く事なく、上機嫌で成歩堂は言葉を続けた。
「今の初々しい感じも勿論いいけど、熟れてからが楽しみだなぁ。開拓っていうか、男の浪漫だよね。」
 今にも鼻唄を歌い出しそうな程の浮かれように、プツリと響也の中で何かが切れる。相手の腕をねじ切る勢いで、振り回せば、悲鳴と共に成歩堂の手が離れた。そのまま成歩堂は背中から倒れ込む。
 勢いも良かったらしく、鈍い音が響いたから背骨を強打したらしかった。仰け反って苦しがる様子からかなりの激痛だったのだろう。しかし、響也に同情する気は欠片もない。
「きょ、響也く…。」
「ふざけるな!この変態!!!アンタなんか信じた僕が馬鹿だったんだ!!」
 ありったけの音量で罵声の言葉を吐き出すと、成歩堂が向かっていた方向に走り出す。
 思春期の青少年は難しいなぁと苦笑した成歩堂の表情が一変したのは、次の瞬間だった。素早く立ち上がり、響也の後を追う。
 怒りにかられた響也には、周囲の様子を感じ取る余裕はない。背後に迫る殺気に気付いた様子は皆無だ。

「…駄目だっ…!」

 成歩堂の叫びは迫る脅威には何の影響も及ぼす事はなかった。
しかし、その声は致命的なミスを生じさせる。成歩堂の声に脚を止めた響也は、自分目掛けて振り下ろされた凶器にただ目を見開いた。

 殺される…!

 恐怖に思わず瞑った眼がなおも事態を悪化させる。動かない標的ほど狙いやすいものはないのだ。瞬間、肉を裂く嫌な音が響也の耳元に響く。
 しかし、痛みは感じない。きつく握られた二の腕以外には。

「この子に、傷ひとつ付けさせないよ。」
「成歩堂さ…。」
 抱き寄せられたその肩には、鋭い刃が深々と刺さっている。脂汗の滲んだ顔は、それでも微笑んでみせた。ドクドクと音が聞こえてくるように吹き出している赤い液体は、留まるところを知らず、彼の服を黒々と染めていく。
「何、笑ってるんだよ。」
 泣きそうな響也を背後に庇って、ははと笑う。
「ピンチの時ほど、太々しく笑え。師匠の教えなんだ。」
「…恐れ入るよ…アンタには…。」
 若干の冷静さを取り戻したように見えた響也に、成歩堂は呼びかけた。痛みに呼吸は乱れたが、かまってなどいられない。
「これ以上、君を危険にさらす訳にはいかない。協力してくれるね?」

 はい。

 涙声ではあったけれど、今度ばかりはその唇から悪態は生まれなかった。 



 鉄の臭いばかりが立ちこめた空間。
脅威は去ったけれども、成歩堂の意識が戻らない。
 応急ではあるが止血はした、呼吸も心音もする。けれど、固く閉じた瞼が上がらない。
 何度も名を呼び、両手を肩に置いて顔を覗き込む。
意地の悪い表情を乗せない成歩堂の顔は、安らかなと呼べそうな程に穏やかなもので、響也の胸を締め詰めた。

「成歩堂さ…成、歩さ……龍一!」
 叫んで、うっと言葉を飲んだ。ポロポロと零れた雫が、成歩堂の頬を打つ。
「…ごめん」
 跋の悪そうな声。そっと伸びてくる腕が、響也の頬を撫でる。
「…冗談だよ。」
 てへへと笑う男の肩を持つ、響也の腕が震える。
「ばっか…やろ!!!」
 スッコーンと音がして、致命傷であろう瘤が成歩堂の前頭部に刻まれた。


〜Fin



…気分はソールイーターかも・笑


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